林SPFを生産する"株式会社林商店肉豚出荷組合"は、2017年4月現在千葉県内の9農場で構成されています。月に2度、報告・連絡・相談等の集まりや会議を行いながら、情報の共有はもちろん、日々"定時・定量・定質の確立"を目指して、各農場、組合一丸となって努力し続けています。このページでは、そんな各農場にお邪魔して、少しですが農場の日常に触れさせていただいた様子をご紹介します。
※下記のそれぞれの写真をクリックまたはタップで各養豚家の内容に移行します。(各養豚場の紹介写真は拡大してご覧いただけます。)
平野養豚は木更津で三代続く唯一の養豚場です。昭和48年からSPF養豚を初められ、現在は先代のお父様から後を引き継いだ息子であるご主人が三代目となり、奥さんとお母様と3人で自分達の養豚を地元からメジャーなものにしようと精力的に営んでいらっしゃいます。ご夫婦はとても仲が良く、取材中も笑い声があふれる中で、本当に楽しんで養豚をやってらっしゃるのが伺えました。
平野養豚は今や木更津でたった一軒の養豚場のため、先代の頃から養豚ならではの公害問題にはものすごく気を使っているんだとか。また、豚舎の環境管理も徹底していて、毎日手動で環境を整えているそう。気温、風の当たり具合などを全てチェックして、豚がストレスを感じないように心がけている毎日。その為に一日何回も全ての棟を確認の為に回り、夏場の水まきは朝、昼、晩+αで数回行っています。
また、毎週と言っていいほど地元を中心に各地のイベントに出ては、自分たちの林SPFを100%使った加工品を心ある業者さんにオーダーメイドで作ってもらい、自分たちの手で販売してファンを着実に増やされています。なんとイベントに出る日は早朝の4時過ぎから養豚場の仕事を終わらせて、それから臨むのだそう。イベントが終わればまた夕方から豚舎へ。「平野養豚を、林SPFを本当にもっと大勢の人に知って欲しいし、食べて欲しい。やっぱり消費者の声を直に聞いていると、新しい発見もあるし、何より楽しくて"もっと頑張ろう!"って思えます」とお二人。この1年で扱ってくれるお店もどんどん増えています。
ご主人行きつけの地元の飲み屋さんで、共通の友人であるお店のマスターを切っ掛けに出会いご結婚されたお二人。奥さんはずっと看護師をされていて、今でも週に2回、病院で看護師として働きながら養豚業をやられています。「初めて養豚場に入った時、何もかもが新鮮で色んな作業が面白かったんです。消費者から生産者になったからこそ解る養豚の魅力を、林SPFの美味しさと一緒にもっとたくさんの人に伝えたい」と奥さん。そんなお二人は、忙しい中でも時間を作って、二人で共通の趣味のサイクリングに行くのが楽しみなんだとか。
「とにかく目標は、健康に繋がるいい豚を育てて、地域のみなさまに愛される養豚場になる事ですね。地元の人と食で繋がって、生産者と消費者が繋がる新しい循環を木更津から発信したい。」と笑顔のお二人。やる気と志の充分なお二人に、日本の養豚をこれからも賑わせて欲しいと願ってやみません。
岡野養豚は銚子市の自然に囲まれた静かな養豚場。先代のお父様から引き継がれて、今のご主人で二代目です。養豚以外に12000坪もの広大な土地で"こかぶ"の生産も営んでらっしゃいます。こちらの方は奥さんと従業員さんが担当、そして林SPF養豚場の担当は屈強なイケメン男子達(笑)。先代の息子さんであるご主人とその弟さん、それに二人の従業員さんで営まれています。
岡野養豚のこだわりは「元気な豚を育てる事」。聞こえは単純ですが、養豚はこれを叶える事が本当に難しいんです。豚がどう感じて、どうして欲しいのか。その事を毎日スタッフ全員で考えているんだとか。「ただでさえ豚は自分で体温調節が出来ません。まして季節によって暑い、寒いがあるので、豚が住みやすい豚舎にするように、豚の気持ちになっていつも考えています。」とご主人。この日初めて豚舎にお邪魔した時に思ったのは、豚がみんな豚舎の中を走り回っていて元気だった事。「ここの豚はすごく元気ですね(笑)」と何気なく伝えた時のご主人の満遍の笑顔の意味が、お話を聞いていてやっと解りました。
養豚場が組合に加入する以前、今のご主人が子供の頃はご主人自身が豚自体の味が嫌いだったとか。先代が切盛りしていらっしゃった頃初めて林SPFを食べて、まさに青天の霹靂だったそう。「林SPFを食べて、初めて今までの豚の脂っこさに気付きました。本当に別物だったんです」とご主人。奥さんも「私はこの養豚場にお嫁に来て林SPFを食べてから、他の豚肉は食べられなくなりました(笑)」と同じ体験をしたそう。
「林SPFの味を決めているのは肥育法もそうですが、やっぱり一番はエサだと思います。安いエサを使えば自分たち(生産者)は潤うかも知れません。だけど、やっぱり美味しい豚は育たないと思うんです。僕たちも昔から食べていて、周りにも配った時に「美味しかったよ!また食べたい!」なんて言われたら、適当な事は絶対出来ないです。」とご主人。自分たちが美味しいと思うものを自分達の手で育てて、食べてくれた人が「美味しい!」と言ってくれる。その声は作り手にとっては何より支えになり、頑張れる源です。
宮澤養豚場は昔から香取市東庄町に根ざして営まれている養豚場の一つです。現在は引退された先代に変わって、息子であるご主人が二代目となり、お母様のサポートを受けながら試行錯誤の毎日。お母様は先代と一緒にずっと養豚をやってきたベテラン中のベテラン。郵便局員を辞めて後を継がれたご主人は、作業をこなす中でお母様からノウハウも同時に学びます。
とにかく一にも二にも明るくて面白いご主人。お母様の仰ることにご主人が突っ込んで笑いが起きて、また 何気ないご主人の冗談にお母様が笑って…。そんな仲の良いお母様とご夫婦で毎日厳しい休みなしのSPF養豚をこなされています。組合自体もご主人に代替わりしてから明るい場になることが増えたんだとか。奥さんは結婚されてご主人が郵便局で働かれている頃から、先に養豚の手伝いはされていたんだそう。今は小学1年生の双子のお母さん。子供達が学校へ行っている間、豚舎の手伝いをされています。
この日は取材中、種豚と雌豚の交配(種付け)のサポートや、専門の獣医さんが訪問されての母豚の子宮洗浄の実施、説明などなど、毎日の作業に加えやることが盛りだくさんでした。大変そうですが、奥さんもご主人も笑顔を絶やさず、工夫してらっしゃる様子。
「親が40年やって来たと言っても、今はそれが正しいとも限らないって思うんです。今はとにかくああやった方が良い、こうやった方が良いっていう試行錯誤の繰り返しですけどね(笑)。今やりたいのは農場の成績の見える化です。分娩数や回転数など全てにおいて細かく正確なデータを取って行きたいんです。それを物差しにして、自分たちのやり方を見いだして行きたいですね。正解はあるようでないし、答えはすぐに出ないしで、やっぱり大変です。」と笑顔で話して下さったご主人が頼もしく、印象的でした。
清水養豚場は香取郡東庄町で有限会社として営まれている、東庄の地域の中でも最初に始められた養豚場の一つです。発足当時から組合の中心として支えて下さった先代のお父様は現在はサポートに周られ、長男であるご主人が先代の後を引き継ぎ経営されています。規模も大きく自動設備も導入され、良質な豚の定時・定量・定質を日々目指されています。
昔から養豚が盛んな東庄町だけあって気候は温暖で養豚に適していますが、清水養豚のある土地は中でも持って来いの環境。豚舎から望む景色は風通しが良く、見渡す限りの田園風景。近くに養豚場がない分、疾病などの衛生分野に対しても恵まれていて、結果豚もストレスが掛からず、スムーズに育ちます。出荷する豚は、モモは張り、バランス良く肉付きの良い豚は、市場でもいつも好評価です。
ご主人に今の「日本の農業に対する考え方」に対して伺いました。「今の日本は豚も含め国産より海外のものを選んでる方向に行ってますよね。でも、豚だけじゃなく農業事態が日本から無くなった後の事を考えてるのかな?とは思います。養豚に至っては日本でも5,000軒を切ってしまったといいます。農業に携わる人の平均年齢も66歳と高いまま…。このままだと産業自体が無くなってしまいますよね。」と厳しい現状についてお話して下さいました。国産が無くなる...。正直今はまだ想像もつきませんが、そんな淋しい状況に日本は向かっているのかも知れません。
房総半島の亀山湖から、少し鴨川方面に行った自然豊かな所。高台にあって周りは緑一色、下には自然の川が流れているという養豚には最適な環境の中に綱島養豚場(株式会社ツナシマ)はあります。とても仲の良いご夫婦を中心に、研修生2人と共に心を込めて養豚を営んでらっしゃいます。モットーは「自分の子供に食べさせたい豚肉づくり」。その熱い思いについて、お聞きしました。
いつも消費者に見られてるという気持ちで作業をしているというご主人。「一番大事にしている事は、「三つ子の魂百まで」の考え方で、小さい時に手を掛けてやると言う事。餌付け(エサを食べる習慣)を身につけさせる事だったり、エサをむやみやたらに与えすぎない事だったり。そこから先は出荷まで手間を掛けて衛生管理・健康管理をしっかりやること。ここを一生懸命やれば、豚はスムーズに育ってくれる。うちの豚肉を食べてくれる消費者に適当なものは出せないよ」と笑顔のご主人。
奥さんは月に3回、自分たちの育てた豚を買い戻し、地元の消費者や飲食店に自分たちの手でお裾分けされているんだとか。評判が評判を呼び、今ではその数なんと通算200軒。養豚作業との両立で大変そうですが、「"綱島さんの肉を食べたらスーパーの肉は食べられない"って言ってもらえるのが、喜んでくれる人の笑顔を見るのが一番嬉しいんだよね(笑)」と奥さんがこの日一番の笑顔で仰っていたのが印象的でした。
ご夫婦お二人とも大のサッカーファンで、ジェフ千葉の熱心なサポーターなんだとか。オシム元日本代表監督がチーム監督だった頃に豚肉を差し入れたこともあるそう。「2人でチームの追っかけやるのが夢かな?」と満遍の笑顔の奥さん。今日も元気な綱島養豚。美味しさの秘密をたくさん伺えました。
石毛養豚場は旭市倉橋の畑に囲まれた静かな自然の中にあります。昭和52(1977)年に、当時は庭先(軒先)養豚が中心だったこの地で、元々農家のご出身だったご主人が養豚場として始められました。
昔から地元に根ざしてやっているので、近所の人たちともいい関係で、いつも笑顔のご主人と奥さん、娘さんのご家族3人でのびのびと営まれています。
のびのびといっても、林SPF豚を肥育するということは決して一筋縄では行きません。この日は専門の獣医さんが訪問されて豚の健康状態を把握するための定期採血の日。そして無事に育った豚達を市場へ出荷する、正に日頃の苦労の集大成となる日でした。どの作業もご主人達は手なれているようでしたが、特に出荷台までの豚の誘導などは見るからに大変そう。他にも衛生管理に気を使い、1日数回の餌の補給や豚舎の環境の調整、豚の健康の管理等、やはり生き物を育てるということは大変で、一日も休みなんてありません。
養豚を始められてからもうすぐ40年。色々なご苦労はあるようですが、奥さんと娘さんが「こら!この子はも〜ぉ(笑)」なんて笑いながら豚と触れ合われている姿を見ていると、「ここの豚は幸せだな」と思いました。餌や環境と共に、育てる生産者の気持ちや思いやりもその豚の成長に関係しないとは思えません。
娘さんは21歳から手伝われていて養豚暦はもう10年以上だとか。今は小学6年生の女の子と4年生の男の子のお母さん。養豚との両立で大変そうですが、「豚が好きだから全く苦にならないし、大変な時ももちろんありますけど、案外楽しいんですよ」とこの日一番の笑顔で話してくださったのが印象的でした。
吉田養豚場は香取市東庄町の昔から変わらない広大な田園風景に囲まれた高台にあります。林商店肉豚出荷組合メンバーとしては一番の古株です。
緑いっぱいの敷地の中にある養豚場までの道のりは上り下りの坂が多く、まるで山登り。息が上がってすぐに休んでしまう私を置いてご主人は「若いのにしょうがねぇな~(笑)」と笑いながらどんどん進まれます。
見るからにお元気で服の上からでも解るほど筋肉質なご主人。なるほど小学校の頃から家の農家で力仕事を手伝って、今も毎日この道を何往復も歩かれていればそれも納得です。昔よく地域の仲間で腕相撲をやった時も、ご主人に勝てる人は一人もいなかったとか(笑)
豚も豚舎の中を走り回ってご主人に負けずものすごく元気でした。豚舎に入ったご主人を待ってましたと言わんばかりにみんなで襲います(笑)「豚の餌やりはうちは普通より多くやってんだよ。特に夏場なんかは喰いが悪いからな。でも普段は元気すぎて困っちゃうよ(笑)」と満遍の笑顔のご主人。
奥さんもご主人も本当によく笑うお二人で、豚舎から望める田園風景はのどかで広大。こんな幸せな環境で餌もたくさん食べて、衛生にも気を使って育てられた豚たち。元気によく育つ訳です。農場に訪れた人たちも、みんないい環境だと褒めてくれるそう。「この前うちの豚を市場の検査にかけたんだけど、他の農場の豚よりうちのは出来が良かったんだと」とまた満遍の笑みのご主人。「如何に良い豚を育てるか。俺はそれしか頭にねぇな」。何気ない話の中でご主人が言われたその一言が印象的でした。
塚本養豚場は、昔から養豚の盛んな香取郡東庄町の自然の中で、昔ながらの民家の庭に建つ豚舎です。
犬と猫と、優しい笑顔でニコニコしてらっしゃる奥さんとご主人。そこには子供の頃、何時間も車に揺られて田舎に遊びに行った時の、あの原風景に似た懐かしさと安心感がありました。
静かな温かい雰囲気に包まれた縁側でお話をお聞きしました。
もともと農家だったご主人が養豚場を任されたのが昭和41年。同じ組合の清水養豚(初代)と吉田養豚と一緒に、この地域の養豚と一緒に組合の元々を支えてこられた一人で、養豚歴ももう少しで50年。
印象的だったのは取材をさせてもらっている間、ご主人は豚房(豚の部屋)の掃除をする時も、餌をあげる時でも終止笑っていて、「お?また思ったより食べてねぇなぁ」、「ほれ、綺麗にしてやっからどけよ〜」なんて豚に話しかけながら笑顔で作業してらっしゃったことです。「昔から動物にはすごく優しいの。競争心がなくてダメなんだけど(笑)」と奥さん。そう言われてご主人はまた優しい笑顔でにっこり。
ずっと毎日の生活と一緒に、長い間同じ場所で苦楽を共にしてきた豚たちと塚本さんご夫婦。美味しい豚の秘密がここでもまた、見つかったような気がしました。
飯田養豚は東庄で40年以上の歴史を持つ養豚場です。組合で唯一小さい頃から養豚に携わっていらっしゃる奥さんと優しいご主人で、協力し合いながら東庄の静かな環境で営まれています。元々奥さんのお父さんが営んでらっしゃった農場をお二人が養豚場として引き継がれたんだとか。ずっと小さい頃から豚がいる環境が普通だった奥さん。豚に対する思いもやっぱり特別です。
「地味な仕事だけど、それでも”ものを作る”っていう感覚に誇りを持ってるから続けられるんです。赤ん坊の頃あんなに小さな豚が、自分たちの手であそこまで大きくなるっていう事実にいつも感動します。」と奥さん。若い頃、一日何頭もの枝肉を見ている市場の買い手の方に言われた一言が忘れられません。「豚は枝肉を見れば全部解る。飯田養豚の豚は屠畜されても死んでない。」そう言われて、養豚についてまだ良く解っていないなりにも、心から嬉しかったそう。
飯田養豚が肥育作業の中で注力しているのが母豚の管理。生まれたばかりの子豚は体にエネルギーの蓄えがほとんどなく、さらに血液中に抗体を一切持っていません。抗体と体温保持を得るために子豚にとってお母さんのおっぱい(初乳)は命綱だそう。病気に対する良い抗体を持った母豚が健康でたくさんエサを食べれば、良いおっぱいが出ていわゆる"移行抗体"もちゃんと出来る。だから最初の母豚管理が大事なんですね。
物心ついた時から生活の中で一緒だったのもあって、本当に奥さんは豚が好きなんだなぁという事が伺えた取材。「私たちはもちろん食べて行く為に養豚をやってるんだけど、ただ儲けたいんじゃなくて、思いと手間を掛けた分だけ答えてくれる豚たちが嬉しいから、また頑張ろうって思えるんだよね」奥さんが笑顔でそう仰っていたのが印象的でした。